稲穂が頭を垂れる時-日本人とお米の物語
実家へ戻る途中の坂道を下ると、左手には神社、正面には一面の水田が広がっています。
ついこの間、田植えが始まったと思っていたのに、稲の穂は垂れてお辞儀をしているようです。
畑一面が黄金色に色づくのはもう少しでしょうか。
毎年のことなのに、この美しい季節が待ち遠しい。
さて、私の家の近所には、日本最古の稲作遺跡とされる「菜畑遺跡」があります。
ここでは、なんと2700年も前から水田による稲作が行われていました。
こんなにも昔から、私たちはお米を食べ続けてきたのです。
太古の昔に始まった稲作は、日本人の精神にも大きな影響を与えてきました。
全ての農業がそうですが、稲作も自然に大きく左右されます。
稲を育てることは重労働であり、到底一人ではできないので、周りの人と協力しながら作らなければなりません。
やっと収穫したお米でご飯を炊きますが、食事の前には「いただきます」、食後に「ごちそうさま」と言います。
私たちが何気なく口にしているこの言葉には、自然やお米を作った人々への感謝の心が込められていて、それが脈々と今も続いているのです。
こうして自然を敬い、共に生きるという気持ちが稲作とともに育まれてきたのではないでしょうか。
また、お米は、私たちにとって単なる食料ではありません。
神様へのお供えや、お祝い事に欠かせないお餅やお酒の材料としても大切にされてきました。
お米は――
「命を育むもの」
「感謝を捧げる対象」
「自然と人をつなぐシンボル」
こういったことが今も私たちの暮らしの中で生き続けています。
お米ってこう考えると素敵ですね。
実りの秋を静かに待ちたいと思います。