「いただきます」――一つの食卓から見えてきたもの
遠い昔、私は南フランスのエクサンプロヴァンスに住んでいたことがあります。
まだ暮らしに慣れない日々。
そんな私の唯一の楽しみは、下宿先のドゥニーズおばあちゃんが作ってくれる料理でした。
料理上手なおばあちゃんでした。
夏が近づき、気温が少しずつ上がってくると、食卓には新鮮なサラダが並びます。
肌寒くなってくると、たっぷりの野菜で作った温かいポタージュ。
季節が変わると、食卓に並ぶ料理も少しずつ変わっていきました。
料理がテーブルに運ばれると、おばあちゃんはいつも、
「Bon appétit !」
と言いました。
そして私は、食事を始めます。
「Bon appétit」と「いただきます」
「Bon appétit」は、日本語の「いただきます」に少し似ているように思います。
どちらも、食事の前に使う言葉です。
でも、よく考えてみると、この二つの言葉には少し違いがあります。
フランス語の Bon appétit は、
「食事を楽しんでね」
という、食事をする人への言葉です。
一方、日本語の 「いただきます」 は、
「私はこれから、これをいただきます」
という、自分自身の行為を表す言葉です。
では、
日本人は、いったい何を「いただいて」いるのでしょうか。
私は子どもの頃から、食事の前に手を合わせて「いただきます」と言ってきました。
でも、その言葉について、深く考えたことはありませんでした。
唐津に戻って、もう一度食卓を見る
日本に戻ってから、私は時々、高齢になった父の食事を作るようになりました。
父は食べることが大好きです。
特に魚が大好きなので、唐津の魚市場で新鮮な魚を買ってきて、お刺身にします。
野菜を求めて市場へ行くと、そこにはその季節の野菜が並んでいます。
野菜を見ていると、
「この野菜はさっと茹でて、おひたしにしよう。」
「これは一度油で揚げて、こっくり煮てみよう。」
「どんな味付けがいいだろう。」
「これは一番だしを使った方がいいな。」
そんなことを考えます。
料理をしている時間は、私にとってとても楽しい時間です。

そして、器を選ぶ
料理ができあがると、今度は器を選びます。
食材の色が美しく見える器。
汁気のある料理なら、少し深さのある器。
料理を食べやすく、そして美しく見せてくれる器。
「どれがいいかな?」
と考えながら器を選ぶ時間も、私の好きな時間です。
そして料理をすべて食卓に並べたとき、私はあることに気づきました。

一つの料理の向こう側
山に雨が降る。
その水は大地にしみ込み、やがて湧き水となり、川になる。
川のほとりでは、畑を耕し、作物を育てる人がいます。
大地から川へ、そして海へと流れていくものは、海の生き物たちの暮らしにもつながっています。
海では漁師が魚を獲る。
その魚を、私たちは市場で買う。
そして料理をする人がいて、
料理を盛るための器を作る人がいる。
こうして考えてみると、目の前の一つの料理の中には、本当にたくさんの人と自然が関わっています。
「いただきます」
そう考えると、私は「いただきます」という言葉を、以前とは少し違って感じるようになりました。
料理を作ってくれた人。
食材を育ててくれた人。
魚を獲ってくれた人。
器を作ってくれた人。
そして、その食材を育んだ土地や水、海。
私たちが一人で食卓を囲んでいたとしても、
その食卓は決して一人で作られたものではありません。
たくさんの人と、自然とのつながりの中に、私たちの食卓があります。
だから私は、今日も食事の前に、
「いただきます」
と言います。